dyslexiaから考えた

dyslexiaの勉強をしていると考えがたくさん出てきてまとまらなくなるので、ここにメモしています。

読むのに習熟した人は、文章ないの50%から80%に目を留める

p123 読み手の目の動きを追った研究が有る。読むのに習熟した人の場合、文章内の単語の50%から80%に目を留めるという。

道を歩いていてよく知らない人に出会った時のことを考えてみよう。誰だったか思い出すまで、じっと目を離さず見つめているのではないだろうか。よく知っている人なら、ちらっと見ただけでも十分なはずだ。

 

ここに、「軽い」もしくは「知的レベルが高くてもディスレクシア」の人を見つけにくい落とし穴があるかもしれない。自分の知っている文脈や、予想しやすいものならば、丁寧に読まなくても「わかる」

息子が、「国語の入試問題を解くのがどうしても嫌だ」と言っていた。「国語」はどうしても苦手だ。と。論理的思考力もある、分析力もある、語彙も豊富、読書もたくさんしているのに、なぜそんなに嫌いなのかなぁ。ディスレクシア傾向があるとして、どういう風に国語が嫌なのだろうか、と常詰思うのだが

ここに、答えの一つがあるかもしれない。

予想できない問題が出てきた場合、対応が困難になるのかもしれない。

 

自分の英語について、

「早く、日本語のように”飛ぶように”読みたい」とこれまた常々思っている。

誰もが、多分「飛ぶように」読んでいるんだろうと思う。

そうできなくなった時、

難しい文章になった時、ディスレクシアの人はきついのだろうなぁ。そうして、私は、英語を飛ぶように読むことができるようになるのはいつのことになるだろうか?