dyslexiaから考えた

dyslexiaの勉強をしていると考えがたくさん出てきてまとまらなくなるので、ここにメモしています。

棒読みができなかった息子

p123 流暢さとは、正確に、早く、淀みなく、表情豊かに読むことである。

 

息子が小2の時に教科書を朗読したカセットテープがある。朗読が学校の宿題で、それをたまたま来ていた私の母(息子の祖母)が録音したものだ。

「かさこじぞう」のそれは、情緒たっぷりに読まれていて、小さい頃からクールを気取りたがる息子とは思えない「劇場」っぷりだ。

成人した息子に聞いたら「担任の先生がそう読むから、俺もそう読んだんだよ」というので、「先生の指導が素晴らしかった(実際そういう先生だった)のだなぁ」と思った。

よく考えると、文字を拾うのが苦手な息子は、音から文章を覚えてしまい、字を見ることは、まだまだ「ヒント」なだけだったのかもしれない。

逆に、先生の「音」を離れて、字を見て自分なりに(棒)読みすることは、彼にはできなかったのかもしれない。