dyslexiaから考えた

dyslexiaの勉強をしていると考えがたくさん出てきてまとまらなくなるので、ここにメモしています。

「気持ちが混乱した時に

「気持ちが混乱した時に、ディスレクシアの症状が出る」とデイビス氏は仮説をたてた。(p4 訳者「この本を読むにあたって」より)

 

 

こうした記述を、始めて目にしたのは、いつどこでどのようなきっかけだったかは忘れた。それまでは、自分の身近にディスレクシア様の症状の人がいるな、と思っていたが、
自分もそういうカテゴリーに入るかもしれない、と、ハッとしたのが、この記述だ。

 

ハッとしたのは、突然ある情景を思い出したからだ。自分が司法試験の「短答式」(過去の試験様式)を受けているときのことだ。
司法試験は、下の子どもを妊娠中に勉強を独学で始めたので、「その」試験の時は35、6歳だったと思う。


司法試験の短答式は5肢(4肢?)から正解を選ぶのだが、
選択肢の文章がテスト用紙から浮かび上がり、フワフワと重なり上下し入れ替わり、全然読めない。緊張しているからだと思って(実際そうなのだが)、落ち着け、落ち着け、と思い、浮かんでいる文章を、手で上から押さえつけたい感情に駆られた。頭の中がキーンとなって、自分の感情を諦める方向に持っていって平静を取り戻そうとしたり、違う問題に取り組もうとしたり、色々と開き直って工夫しても、そういう症状は収まらず、泣きたかった。

本当は吐き気の方が強かった気がするが、「悲しくて泣きたい」という気持ちに転化しないと自分自身が納得できないような感情でいっぱいだった。

 

これは、インド映画『Taare Zameen Par (2007 地上の星)』で見たことのあるディスレクシアの症状の映像と全く同じだ!

10年以上経ってから、初めてそう気づいた。

 

次に思ったのは、司法試験勉強中も、特に刑法なので、いつまでも意味が取れずに困った選択肢があったことだ。刑法は文章構造が似た選択肢が並ぶことが多い。
「医師甲は殺意を持って毒入り注射を看護師乙に渡し、乙はこれを知らずに丙に注射した」

「医師甲は気づかずに毒入り注射を看護師乙に渡し、乙はこれを知っていながら丙に注射した」
云々カンヌン。
これが、いつも、いつまで経っても、頭に入ってこない。疲れているからかなぁ、とか、自分はものすごいバカなんじゃなかろうか?とか、いろんなことを考えたことを思い出した。

そこから連想したのが、もっと優しい「公立高校入試 英語」に出てくる問題のことである。

「本を読んでから、映画を見た」
「本を読まずに、映画を見た」
「本を読んだが、映画を見ていない」
「本も読まず、映画も見ていない」
などという選択肢が、どうしても混乱する。これは自分が教師をしていた40代の時のことであり、始めは誰もがそうなのだろう、と思い、文章を丸で囲んだり四角で囲んだり矢印やX印を使って視覚化して検討する方法(自分がやっている方法)を生徒に教えようとした。
ところが、生徒は皆、そんな記号など使わなくても苦もなく理解するのである。
そして、私ときたら、同じ問題を、翌年もその翌年も教えていながら、毎年同じように読めないのである。
生徒に「混乱する人いませんか?」と尋ねても、皆「一体なんのこと?」という感じでスルーする。
変だなぁ? 
そう思っていたことと、この司法試験での体験が一気にオーバーラップして、

これって、ディスレクシアの症状なんじゃないか?

と思った。