全体を捉え、いきなり全てを把握しようとする
(読んだら何かを思いついてしまい、書き留めないといけなくなるから、何気なく読むのやめよう!)
第4部
32章 「読字」を楽にするための3つのステップ
ディスレクシアの人は、文章を読むときに、文章中の単語を全て一度に見てしまい一つ一つの単語の意味は見かけから判断しようする。(p292)
思いついたこと3つ。
1つ目
自分もそう。
ただし、読むのが楽な文章の時は、これは優位に働く、重要そうな単語をサッっと全体から拾って、そのページ全体の意味がわかってしまう。その単語だけでは十分でないと感じたり、意味の取り方を間違えている可能性があると思った時は、もう少し拾う。「拾う」というのは、「重要そうな単語を意識的に探す」というより目をランダムに文字の上で動かしていると、いくつかの(キーポイントとなる)単語が浮かび上がって、有機的につながる、といった風だ。
二つ目。
自分の子どもが、能力テストみたいなのを6歳の時に受けた時(この話はいつか詳述)、迷路が全然できなかった。
「どうして?」と聞くと、
「スタートとゴールから一緒にスタートして、それが出会う場所を探していたから、途中の経過はかけず(完成しないと書けず)、結果として全くできないようになってしまっていた。」と言っていた。
彼は、「あ」と「お」の区別がつかなかったと、高校生になってから小さい頃のことを教えてくれたが、これも、形を「周囲から見ていく」という癖があるからだろうか、と思っていのだが、
端、や、角、から順番に分析してとらえるのではなく、全体を捉えて一気に掴もうとする思考の結果なのかもしれない。
3つ目。
政治的議論や、その他、込み入った議論で、「どの立場をとるのか?」となった時、
どの説も全体を見れないと、選べない、という傾向はあるかも。そのうち妥協して選ぶのだが。