dyslexiaから考えた

dyslexiaの勉強をしていると考えがたくさん出てきてまとまらなくなるので、ここにメモしています。

聞いたことのメモを取る(困難な面とそうでない面と)

今日、英語の授業の聞き取りで、内容をメモを取った。
今日の記事は、わからない単語も多くて(特に固有名詞!)、メモを取るのが困難だった。

 

聞いたことをメモする、という作業については、いくつか考えることがある。

まず、日本語の講義などの場合、私のメモは「すごく良い」ものができる。

話を聞いていると(日本語なのでほぼ100%理解)、「これは見出し、これは例示、これは脇道に逸れて、今、元に戻った。今の話は、一番初めに降った話の答え」というぐあいに、話の内容が、文脈の中でどういう位置付けにある話か、ふさわしい「ボックス」の中に入っていく。それで、頭の中でボックスわけされたことを、ノートの上に、ボックスごとに頭出しの位置などを変えて書いていく感じだ。だから、講義が終わったとき、人より、一目瞭然でポイントが掴みやすく(自分にとっては)、見直しやすい的を得たものが出来上がる。逆に、理論立っていない講義は、私の中のそういった機能が働かないので、まあメモは取るが、つまらないし、なぜ、こうもまとまりのない講義をするに至ったのか、その人がここにいる理由や、話すことにした動機、機能や講義直前の過ごし方などまで考えてしまう。

一方英語だが、

まだ(?)このような枠の中にははいらない。

トピックが変わったら改行するのでいっぱいだ。

今日の授業で、「そうだ、英語は段落ごとに、最初の一行にheadlineが来ることが多いし、段落ごとに言いたいことが一つにまとまっているんだから、それを利用すればいいんだ」と気がついたけれど、それが次回からできるか?

何しろ、「聴いた音を英語(もしくは日本語)にする」のに、頭の中を探っていて時間がかかる感じだ。

 

明確に、ディコーディングの困難を 「音→文字」に感じるのだ。

 

これはいつか克服できる時が来るのだろうか?大学で先生の口述を日本語に写し取る時の苦労した感覚を思い出した。