dyslexiaから考えた

dyslexiaの勉強をしていると考えがたくさん出てきてまとまらなくなるので、ここにメモしています。

医者が治すのか?

p28

「この教育改革の時代にあっては、すべてのこうした子供たちに対して医学の専門家による組織的な検査を実施し、様々な障害を見定めてそれぞれにあった最善の方法を報告してもらう必要がある」byヒンシェルウッド(1904年)

 

全く正しい。

正しいが、「医学の専門家」に、引っ掛かりを感じる。

確かに、「日常生活に障害を及ぼすほど」であれば、「医学」の登場だと思う。

また、ディスレクシアが「神経伝達」系統の問題だとわかっているので、それは「医学」の分野だろう。

けれども、問題がある。

まず第一に、「医学」を持ち出されると、「医学の臨床に載せるべき事例か?」という線引きが難しくなる。生活の中で「医者に行く」というのはある程度「非常事態」である。非常事態であるかどうかを、誰が判断するのか。例えば、母親が「非常事態であるから、医者に」と言っても、担任の先生が「これは良くある事例で、非常事態ではありません。お母さんが神経質すぎる」と判断することだってあるだろう。

医学臨床に載せるかどうかの線引きのところで、様々な「苦しさ」が生まれてしまう。

それから、「医者が治すのか?」「医者が指導するのか?」の問題がある。

医者が共有している情報や治療法は、実際の生活の場と乖離していることはよくあることだ。医者はそれを「意識が遅れている」という風に両断するけれど、

本当にそうなのか?医学的解明が完璧でないにも関わらず、生活現場は医学に遅れているという認識をすることによって、医学は「反省」をしない。その情報や治療法は、それほど優れているものなのか?

それから、実際の指導は家庭や学校、本人になる。

これを「医者が統括」するのだろうか?つまり、家庭や学校は医者の手足なのか?

生活現場にいる者の方が、わかることがある。でも「専門じゃない」「科学的じゃない」などと言われる。

さらに、医学界は仲が悪い。「自分のやり方が一番だ」とやりたがる風潮が強すぎる。それが全体の向上を妨げていると思う。そして、現場に混乱をもたらす。

 

医学臨床まで乗らないレベルの人についての考察が、進んでいないと思う。

例えば、自分だ。

緊張下では、ディスレクシアの症状と言われるものが出るけれど、それは「臨床」に乗らない。そういう者の解決法も、

今は出てきているのかな?(これからのページや本に書いてあるのかな)